#トリノよいとこ一度はおいで その1「トリノってそもそも?」



私が24年前から住んでいるイタリアのトリノは、日本の人にはイマイチ
知られていないのだけど、実はイタリアの他の都市に負けない、魅力がいっぱいな土地だ。
一度来た人はだいたい、また来たい!とリピーターになったりする。


と言ったって、そもそも

いったいトリノってどこ? と思う人も多いはず。

聞いたことはあるけど、みたいな。


「イタリア北西部のフランスと国境を接するピエモンテ州の州都」で、

「イタリア語ではトリーノ、英語でトゥーリン」。

「地図上では、ミラノから左にほぼ一直線

150キロ行ったところにある、イタリア第4番目の大都市。

人口は100万をちょいきるぐらい」


なんていうのが、トリノを説明する時によく言われること。
でも、これじゃ、あまりイメージがわきませんよね。笑


じゃあ

「トリノはイタリアがイタリアという国になった時の、

最初の首都だった美しい街」で、

「トリノを州都とするピエモンテ州はイタリア最高峰のワイン生産地の一つだし、

世界中のグルメ垂涎の白トリュフの名産地、

そのほかにも美味しいものがザクザク!」と言ったら?


               じゃーん、これが白トリュフ。ピエモンテの人は毎日食べられる、

                   というのはもちろん嘘。トリノから70キロ離れたアルバが本場で、

                   10月から12月のシーズンには世界中からグルメさん達が食べにやってくる。

                   トリノにももちろん出回るけど、とてもお高いので、

                   そうそう簡単には食べられません。


  卵黄をたっぷり入れた手打ち麺「タヤリン」をバターだけであえたところにたっぷり削りかけて食べるのが、

   白トリュフの食べ方の王道。書いていても、食べたくなってくる〜


どう? ちょっと来てみたくなるでしょ?


 

「トリノでは2006年の冬季オリンピックが開催されました。

荒川静香さんがイナバウワーを決めたのも、ここトリノです」


いつまで古い話してるの、という気もするけけど、

だから未だに、雪深い寒~い土地と思っている人が多いのか。

「トリノって雪が多いんですか? 寒いんですよね?」とは本当によく聞かれる。


たしかにピエモンテ州という州全体で見れば、

雪が多い地域もあるし、「山の足元」という意味のピエモンテ

(Piede=足 Monte=山)という名前の通り、

アルプス山脈の足元に広がる州だから、

晴れた冬の日には、トリノの街の中からでも、

白い雪化粧をした山並みが見えて、

山好きでなくてもうっとりしちゃう美しさだ。

ちなみに冬季オリンピックのスケート競技は市内で、

スキー競技はトリノから100キロ以上離れた山岳地帯で開催した


                             トリノのシンボル、モーレ・アントレリアーナ、またの名をトリノ・タワーの向こうに見える
             アルプス山脈。Foto di Roberto Garbarini ;Pixabay


だからと言ってトリノの町自体はそれほど寒くないし、雪も少ない。

真冬の一番寒い時に、時々気温がマイナスになるぐらい。

東京よりちょっと寒いかな、そんな感じ。

かといって夏が涼しいかといえば普通に暑い。


さて、最初の首都だったという話。


イタリアは1861年まで、ミラノ公国とかトスカーナ大公国、

パルマ公国などがバラバラに存在していて、

「イタリア」という意識はあったものの、一つの国にはなっていなかった、

だからイタリアには「イタリア料理」というのはなくて、

「ピエモンテ料理」やら「トスカーナ料理」といった

郷土料理がいっぱいあるんだよ、とは

イタリア料理の勉強をするとまず出て来る話。


そのバラバラな国を統一して

イタリアという国にしたのが、当時トリノ一帯を納めていた

サヴォイアという貴族の家長、ヴィットーリオ・エマヌエレ2世。

彼の8代前の祖先がサルデーニャ王となった時点で

サヴォイアは公爵家から王家に昇格していたから、

イタリア統一後は彼が初代イタリア王になったというわけ。


              この方が初代イタリア王・ヴィットーリオ・エマヌエレ2世さん
               
ちなみに、サヴォイア家を王家にした

ヴィットーリオ・アメデオ2世という人は子供の時病弱で、

彼のために発明されたある食べ物が、のちのイタリアで

とてもポピュラーになるのだが、これはまた、別のお話。


        王様生誕の場所でもあり、イタリア初の国会議事堂だったカリニャーノ宮殿。だーん、と書いてあるラテン語は

             「ヴィットーリオ・エマヌエレここに生まれる」という意味。今は統一博物館になっている。




こうしてトリノは、1861年にイタリアの首都になったのだけど、

4年後にはフィレンツェに遷都、

さらに6年後にはローマに引っ越し現在に至る


ところで今、アメリカやヨーロッパで

人種差別に抗議する運動が過激化していて、

歴史上の人物の銅像が破壊されたりと、攻撃の対象になっているという。

その中に、このサヴォイア家の王様達の銅像も含まれているらしい。

その話も、もう少し勉強して、近いうちに。


さて、フランスのサヴォイア地方とピエモンテ地方が

テリトリーだったサヴォイア家の趣味は

多分におフランステイストだったようで、

碁盤の目に整備された通りに、バロック建築やリバティ建築が今も残る街並みは、

とてもエレガントで優雅な雰囲気。

ちょっとおパリに似ていなくもない。


実際、街を横切るポー川に、いくつもの美しい眼鏡橋がかかる風景はとてもきれいで、

「ピッコラ・パリージ」(小パリ)と呼ぶ年配のトリネーゼ(トリノ人)も多い。


     ピエモンテを統治していたナポレオンが1807年に作った橋。フランスの手からトリノを奪い返した時、
  ナポレオンの足跡は壊してしまおうという声に、「毎日ナポレオンを踏みつけてやろう」と言った当時の王様、
  ヴィットーリオ・エマヌエレ1世の名前が冠されている。



その頃に建築されたサヴォイアの王宮群は世界遺産に指定されているし、

1757年創業のレストラン「デル・カンビオ」は、

お味の方はともかく、昔のままの姿を残していて、とても素敵。

絢爛豪華な内装に燕尾服のカメリエーレたち。

2014年に経営陣が新しくなったのを機会に料理は一新して、

ミシュラン一つ星のついたモダンな料理になった。

昔ながらのトリノ料理ではなくなったて

つまんない、という意見もあるけれど、

一度は行ってみる価値はあると思う


                           「リストランテ・デル•カンビオ」、こんな内装。


そんなわけで「トリノよいとこシリーズ」、

次回は、私がトリノで一番好きな、一度ならず

何度も行きたいオステリアのおいしいおいしいお話。

(そんなわけって、どんなわけ?)

「デル・カンビオ」の話は、その後で。


*冒頭の写真は

古代ローマ時代のトリノのラテン語名

「アウグスタ・タウリノルム」と書かれた、ある教会の一部分。

古代ローマ以前に「タウリノ人」という人たちが住んでいたから、の名前なんだそうだ。

そして「タウリノ」が「トリノ」になった。

アウグスタ、は命名された頃の皇帝アウグストゥスのこと。



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