ロックダウン・ロス
2ヶ月前「生きていればまた立ち上がれる。
今は経済よりも皆さんの命が大事です」と演説して
イタリア国民から絶大な支持を集めたジュゼッペ・コンテ首相。
ロックダウン中、毎日官邸からスーツ姿で会見して頑張ってくれる姿に
ハートを射抜かれたイタリア女性たちから、
「抱かれたい男ナンバー1」に選ばれた、なんていう話もあったっけ。
ところがロックダウンは2ヶ月にも及んだ。皆さんの命が大事!
と力説したあの時、こんなに長くなるとは首相自身、
思っていたなかったんじゃないかな。
それでどんどん経済が逼迫してしまい、ついには
「危険は承知の上で、開けるしかない」という声明を発表したのが5月17日。
えー! そうなの? 危険なのにあけちゃうの?
(写真:Alexandros Michailidis/Shutterstock.com)
とても優しくて、大事に守ってくれていた彼氏が、
倦怠期になって夜道も送ってくれなくなったみたいな(笑)
そんな心もとない、不安な気分になる。
感染状況が一番ひどかったロンバルディア州の郊外に暮らす友達は
「ロックダウン・ロスだー」と言っている。
たしかにロックダウンの間は不便で心配な日々だったけど、
「出かけてはいけない」のを「(政府のお墨付きで)出かけなくていい」と考えると、
なんだかふんわりと守られているような、安心できるような、
そして何もしないで家にいるだけで褒められるという、
そんな不思議な日々だった。
実は守られているなんて錯覚で、ロックダウンの後に襲ってくる
経済問題や社会不安はその頃からわかっていたことだったのだけど、
彼女も、私も、あまり考えないようにしていたんだと思う。
考えすぎてノイローゼになって鬱になった人は多いというし、
自殺してしまった人もいるから、
深刻に考えずに過ごしていた私やその友達は能天気すぎるのかもしれないし、
もしかして怖くて頭が考えることを拒否していたのかも、
なんていうとかっこいいけど。
とにかく2ヶ月は過ぎて行った。
そんなわけで5月18日からイタリア全国で、
「普通の暮らし」が戻ってきている。
感染状況の改善が遅れていた私の住むトリノでは
数日遅れの23日ごろから、
バールもレストランも営業を再開し始めた。
トリノのヴィットーリオ・ヴェネト広場から眺めるポー川。この辺り、週末は夜遊びする若者でごった返す。
街を歩くと、マスクをしている人、していない人、2対1ぐらいの割合に見える。
公園にグレースと散歩に行っても、久しぶりに会った顔なじみの犬友が、
マスクしていないのに急接近して来る。
でもすごく久しぶりに会った懐かしい友達に
「もっと離れてよ!」とは言えなくてちょっと焦る。
気持ち的には、わー、元気だった? と抱きしめたいのに。
ジョギングの人がはーはー言いながら近くをすれ違えば
思わず顔をそらして、息を止めてみたり。
うーん、息を止めたってウィルスが飛んで来たら
役に立たないだろうなあ、とか思いつつ。
5月23日の週末、ミラノのおしゃれゾーンnaviglio(ナヴィリオ=運河地域)や、
トリノのヴィットーリオ・ヴェネト広場では、
若者たちが集まって、マスクもなく、
ソーシャルディスタンスも無視で、飲んで騒いで楽しんでいたと、
新聞やテレビで大騒ぎになった。
こんなことじゃロックダウンに逆戻りだ! と大人たちは文句を言っているけど、
その大人たちも、イタリア空軍お家芸の
曲技飛行のイベントを企画したりして、お祭り騒ぎ気分は最高潮。
色々なイヴェントで活躍するイタリア空軍の「フレッチャ・トリコローリ」
とそれを見に集まる人々。気持ちはわかるけど、収束祝いはもう少し待ったほうがいいのでは?
完全終息と勘違いして遊び集まる若者たちに
一番腹を立てているのが、実は、レストランやお酒を提供する
お店の人たちだと、イタリアの新聞『La Stampa』が
5月23日に書いていた。お店の人たちは
決められた通りに距離を開けたり、
ウィルス除去や安全なサービスの方法を
検討して開店準備をして来た。彼らにとっては死活問題だから、
より安全によりたくさんのお客さんが、
コロナ以前のように戻って来てくれるように必死で準備した。
それなのに無自覚な若者たちは、19時に店が閉まった後も
(トリノ市ではアルコール飲料はテイクアウトのみ、19時まで)
店の外にたむろして飲んで騒いでいたという。
それで感染者が出たり、問題が起きた場合は店の責任になってしまうから、
このままでは開店しておけない、とお店の人たちは怒る。
自粛期間も含めたら3ヶ月近く遊んでいなかった若者諸君が
弾けたい気持ちはよくわかる。でもね、
昔から、快気祝いは早くやってはダメだというじゃない(日本では)。
コメント